ミネソタトリビア
Minnesota Trivia

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このページについて

「ミネソタ基本情報」 には書ききれなかった、知っているとちょっと得した気分になる情報を、このページでご紹介します。 前ページ同様、てんこ盛りの内容になってしまいました。

ミネソタファンの方は、ぜひこちらも読んでくださいね♪

なお、ミネソタ州は本州と同じぐらいの広さがありますので、言葉や気質、習慣や行動にも、かなりの地域差があることをご了承ください。


★ミネソタ言葉

アメリカ中西部には強い訛りがなく、アナウンサーの話す標準語に近いとされている。
それでも、ミネソタ訛りとも言える独特のイントネーションやアクセント、他の州とは違うミネソタ独自の表現が存在することは確かである。
ミネソタ訛りは、都市部の住民や若い人たちにはさほど目立たない。

Howard Mahr 著の How to Talk Minnesotan という本によれば、"Minnesota" 自体も "Minn-ah-soah-tah" と独特な節で発音されるとのこと。

北国の特徴であるのか、ミネソタンの話し方はあまり抑揚がないと言われている。
また、次項の 「ミネソタナイス」 でも触れるが、直接的な表現を避けて遠回しに言う傾向がある。
喜怒哀楽をハイテンションで大げさに表すより、身振りも言い回しもやや控えめだ。

ミネソタ的表現

You bet. ⇒ You betcha.
自分の意見を押し付けることなく、穏やかに同意する時にぴったり。 いきなり 「ユーベッチャ」 と言われると、聞いたことのない人は意味がわからず困惑する。
「そうですね」 「その通り」 「もちろん」 「いいですよ」 「大したことないですよ」 などの意味がある。
Thank you. に対して、 「どういたしまして」 という意味でも使われる。

That's different.
あまりよくないこと、好みでないことを、遠回しに表現する時の言い方。
相手を傷つけないように 「う~ん、変わっていますね」 と遠慮がちに言う。 心の中では、 I hate this! とうんざりしているかもしれない。

Whatever.
失望や投げやりな気持ちを表したり、同意できないがあからさまに反対もしたくない時の言い方。
「まあいいんじゃないの」 「好きなようにすれば」 といった意味。

Uff da! ウフダ!
ノルウェー語に由来し、Huffdaufta などのスペルで表されることもある。 北欧系の住民が多いミネソタなどアメリカ中西部で時々使われる。 これにぴったりの英語表現がみつからないため、そのまま使われ続けてきたようだ。
それほどシリアスな状況ではないが、軽い驚きや悲嘆、狼狽、安堵、虚脱感などを表す時に使う。 チャーリーブラウンが時々口にする "Good grief." や、日本語の 「アチャー」 「やれやれ」 などのニュアンスに近い。

その他のミネソタ的言い回し

うれしいことも腹が立つことも、大げさに騒ぎ立てるより、さらりと流すのがポイント?
特にミネソタ北部の小さな町では、こんな言い方が顕著。

Not too bad. 悪くはないね。
Can't complain. 文句は言えないね。
It's OK. いいんじゃない。

ミネソタ的命名

Pop (ポップ)

普通はソーダと呼ばれることが多い炭酸飲料は、ミネソタではポップと呼ばれる。
ミネソタに限らず、アメリカ中西部ではよく耳にする表現である。

Hotdish (ホットディッシュ)

他の州で hot dish は単に 「(冷めていない) 熱々の料理」 を意味するが、ミネソタでは、いわゆるキャセロールのことをホットディッシュと呼ぶ。
早めに作りおきすることも冷凍も可能なので、ファミリーリユニオン (親族会) 、教会の集まり、結婚式や葬式、その他の持ち寄りパーティーにも頻繁に登場するメニューである。
普段の夕食も、これ一品で済まされることもある。 3,000以上のレシピがあると言われている。


マカロニに代表されるパスタ類・ポテト・米またはワイルドライスなどの炭水化物、チキン・挽肉・ツナ・ハム・シーフードなどのたんぱく質、それにブロッコリー・セロリ・人参・玉ねぎ・ピーマン・マッシュルームなどの野菜類 (手を抜く場合は缶詰や冷凍を使用) を使うので、一応栄養のバランスが取れた料理と言える。
これらにクリームオブマッシュルームスープ缶などを加えて全体をまとめ、耐熱容器に広げて、パン粉や砕いたクラッカー類などのトッピングやチーズを上にパラパラとかけ、高温のオーブンで焼き目をつけるのが、典型的な作り方である。

Salad  (サラダ)

「サラダは野菜を使ったもの」 という固定観念は、ミネソタでは打ち破られる。
例えば、缶詰や生のフルーツをインスタントゼリーミックスで固めたもの、ミニチュアマシュマロやクールホイップ (泡立てて甘みを加えてある生クリーム、冷凍で売られている)、プレッツェルなどを砕いたもので3層にしたデザートのような甘い一品も、ここではサラダである。
Jello saladgelatin saladjelly salad などと呼ばれるものがそうだ。


ミネソタのポットラックパーティー (持ち寄り形式) では、ホットディッシュ、ポテトサラダ、コールスロー、そしてこのジェロサラダという組み合わせは、かなりの定番。
ミネソタンをポットラックパーティーに招待した時には、注意が必要。 誰かがこれを持ってきてくれた場合、デザートだと思ってメインの食事と一緒に出さないと、気を悪くされるかもしれない。

Sloppy Joes (Barbecue?)  (スラッピージョーズ)

ミネソタに限らず中西部では非常にポピュラーで、アメリカ版 「おふくろの味」 のひとつ。
けれども、他の地域ではあまりお目にかからないメニューのようだ。

写真の通り、ハンバーガー用のバンズを使うのが定番。 けれども、中身の具はゆるくて、食べているうちに流れ落ちてくるため、sloppy (だらしのない、水っぽい) の名がついている。 挽肉と野菜を炒め、ケチャップなどを使って甘めのトマト味に調味したもの。 ホットディッシュ同様、大勢の集まりに供されることが多い。


不思議なのは、ミネソタではこれが 「バーベキュー」 とも呼ばれていること。
(バーベキューと言えば、野外で豪快に、直火で肉や野菜を焼く料理を想像するが。)

アメリカでは、風味をつけたポークの塊を何時間もスモークして、簡単に骨から引きはずせるほどに柔らかくしたものもバーベキューと呼ぶ。 スラッピージョーズに使うのは挽肉で、作り方はそれよりずっと簡単だが味は似ている。 ミネソタでは間違って 「バーベキュー」 と呼んでいるという説と、スラッピージョーズの味付けにバーベキューソースを使うことがあるからだという説がある。


★ミネソタナイス&ミネソタグッドバイ

冬の寒さが厳しいミネソタでは、困った時はお互い様・・・と助け合う場面が多い。 そんな環境のせいか、ミネソタの人たちはにこやかで礼儀正しく、温厚で思いやりがあり、激しい自己主張はせず、どちらかといえば謙虚。 表立った争いごとをなるべく避けようとする傾向がある。
(あくまでもステレオタイプであるので、これらから思い切りはずれた気性の人もいる。)

ミネソタナイス Minnesota Nice 」 と呼ばれるそんな気質は、和を大切にする日本人に近いものがあるかもしれない。

注) 気候が似ているため、ミネソタでは北欧系の住民が非常に多い。
北欧系の人々は典型的な 「金髪に青い目」 がほとんどで、外見は日本人と正反対だが、気質には共通点があると言われている。

ミネソタンは、誰に対してもフレンドリーで親切。 道を歩いていても、買物中でも、目が合うと微笑んでくれ、親しげに話しかけてくる人も多い。 身につけているものを見知らぬ人にいきなりほめられたり、スーパーのカートに入れためずらしい食材のレシピを、後ろに並んでいる人やレジのおばちゃんに尋ねらたりしても、ミネソタでは驚くことではない。
環境保護や寄付活動などにも熱心な人が多く、あからさまな人種差別もない。

ただし、他の州出身のアメリカ人からは、ミネソタンは表向きは人当たりがよくても心の底では何を考えているかわからない、という評価をされることがある。 アメリカでは一般的に、自分の意見をはっきりと伝えることが良しとされている。 それゆえ、良い人でいようとするあまり直接的な表現を避け、意思表示をあいまいにしがちなミネソタンの態度は、反感を持たれる場合もあるようだ。


ミネソタンは物静かにも見えるが、概して話好きである。 誰かを訪問した時にも、ロングミネソタグッドバイ Long Minnesota Goodbye  (またはミネソタロンググッドバイ Minnesota Long Goodbye ) と茶化されるとおり、別れを告げてから自分の車を走らせるまでに30分はかかると言われている。
家の中で一通りの別れの挨拶がすんでからも、ホスト、ホステスはゲストと共に玄関のドアを出て、車をとめてある場所まで話をしながら一緒に歩き、ゲストが車に乗り込んでからも、窓を下ろしてさらにおしゃべりが続く。


例を挙げれば、もう1杯コーヒーを飲んでいかないか、残り物を持って帰ったらどうかなどを聞かれることから始まり、その日の料理のレシピ、使ったお皿の出どころ、ワインについてのうん蓄、一緒に遊んだゲームの新しいバージョンなどについて聞かされ、それから友人の誰々に新しくできた彼氏の話や、親戚の誰々の最近の病状の話などが延々と続き、次に会うのはいつにするか決め、やっとお別れとなる。 車を走らせてからも、お互いの姿が見えなくなるまで手を振り合う。


★セントポールの市名の由来

19世紀初め、毛皮商人として新しい入植地にやってきたピエール・パラント Pierre Parrant という男がいた。 彼は1838年に、ミシシッピ川に並ぶ泉の洞窟の入口で、この地で最初の酒屋 whiskey seller's cabin を始める。

彼の異名は Pierre "Pig's Eye" Parrant  「ピエール “豚の目” パラント」 という変わったものであった。 片目の瞳孔の周りに不吉な感じのする白い輪が見られたことが原因だった。
このため、この地はピッグズ・アイ・ランディング Pig's Eye Landing と呼ばれていた。
インディアンや兵士たち相手にウイスキーの密売を行い、彼の店は大繁盛であったが、その後兵士によって追い出されてしまう。

1841年にフランス人のルシアン・ガルティア Lucian Galtier 神父が、最初の小さな教会を丸太で建てた時に、 「豚の目」 ではあんまりだということで、聖人 (聖パウロ St.Paul ) の名前をとってこの地をセントポールと呼ぶことを提案した。

今でも Pig's Eye という名のビールがある。 写真はオリジナルラベル。



★伝説の木こり、ポール・バニヤン

ポール・バニヤン Paul Bunyan は、アメリカの民話 folktale に登場する巨人の木こりである。 その力とスピードと技で、東海岸から西海岸まで森林を切り開き、川や湖、山を造り、アメリカの大地を今のような姿にし、その開拓に偉大な貢献をしたとされる。 アメリカで育った者なら、必ず耳にしたことがある民話だ。 

北アメリカの開拓者たちは、毎日の重労働を終えた後に皆で集ってほら話 tall tale を楽しみ、1日の疲れを癒したものだった。 ポール・バニヤンの民話は口頭で伝承され、後に文学、楽曲、演劇な どのテーマとなり、商業目的でも使われている。 民話には様々なバージョンがあり、ずっと後になってから付け足された部分もあって、出生地なども一定していない。

ポール・バニヤンはメイン州で生まれたとされる。 あまりに大きな赤ん坊だったので、5羽の巨大なコウノトリ five giant storks がやっとのことで両親の元に届けた。 毎日2ダースの牛の乳を飲んでどんどん育ち、1歳になるまでには、荷馬車の車輪 wagon wheels を服のボタンとして使わなければならないほど大きくなった。 彼が寝返りを打つたびに大きな地震が起こるので、一家は町からの引越しを余儀なくされ、森の中へと移る。

ある寒い冬の日、森には青い雪がしんしんと降り積もっていった。 ポールは、その青い雪の中に青い牛の赤ちゃんが凍えているのをみつける。 家に連れ帰って温めてやり、その牛をベイブと名付けた。 こうして、青い牛ベイブ Babe the Blue Ox はポールのペットとなる。 ベイブもポールと同じようにあっという間に大きくなり、一緒に歩いた所がみな湖になってしまうほどだった。 ベイブはやがて、ポールの仕事を手助けするようになる。

ポール・バニヤンが斧をふるうと、森の木はあっという間に丸裸になった。 五大湖も、アメリカにあるあちこちの川や湖、ミネソタ州の10,000以上の湖も、みなポールとベイブが造ったと伝えられている。


ミネソタに移ったポールは、7人の大男 (それぞれ身長が2メートル以上あった) を斧の使い手として集め、共にキャンプをして仕事に励んだ。 全員の名前をエルマー Elmer に決めたのは、エルマー!と一度呼べば、すぐに7人が集まるようにだった。
こうしてみんなで力を合わせて木を伐採し、ポールたちは都市や農場、住居にするための土地をどんどん切り開きながら西へ西へと向かって行った。 グランドキャニオンロッキー山脈もポールが造ったと伝えられている。 

ポールの大好物の朝ごはんは、パンケーキだった。 ポールとエルマーたちのお腹を満たす量を作るには、大勢の料理人が必要だった。 タネを混ぜるにはセメント用のミキサーを使い、向こう側が霞んで見えないほど巨大なグリルの上を、料理人たちがベーコンの厚切りをスケート靴につけてすべり、油をひかなければならなかった。

ある年、ポールたちのキャンプははあまりにも寒かったので、みんな顔じゅうのひげを長く伸ばして寒さをしのいだ。 話し言葉は空中で凍りつき、春まで解けることはなかった。 やっと暖かくなり、凍っていた話し言葉が全て解けた時、それは轟音となって遠くまで響き渡った。

独立戦争の際は、ヘッセン兵 (ドイツの傭兵) が放つ砲弾を、ポールは野球のバットのように構えた木の幹で次々と打ち返した。 海賊船の大群が押し寄せてきた時には、ポールが海に勢いよく足を突っ込んだため、大きな波ができて船を全部沈めてしまった。

ポール・バニヤンがどこに去ってしまったのかは、誰にもわからない。 毎年夏になると、今でもミネソタに戻ってきているらしい。


ポール・バニヤンとベイブの像はアメリカの各地にある。 赤と黒のチェックのフランネルシャツ姿が定番。 ポールの出生地については、メイン州の他、ミシガン州ミネソタ州との諸説がある。
ポールの最大の像は、メイン州のバンゴー Bangor にあり、9.4メートルの高さがある。

ミネソタ州では、ブレイナード BrainerdPaul Bunyan Land に、表情豊かに話をするポールの像、エークリー Akeley には跪いて手を差し出す像がある。


注) 映画 「ファーゴ」 の中でブレイナードにあるとされる、 "WELCOME TO BRAINERD HOME OF PAUL BUNYAN" と台座に書かれたポール・バニヤンの像は、実在するものではない。



特に人気のあるのが、ベミジ Bemidji にあるポールとベイブの像である。 1988年アメリカ合衆国国家歴史登録財 National Register of Historic Places に指定されて以来、さらに大勢の観光客が訪れるようになった。 コダック社によれば、歴史に名を残す4人の大統領の胸像が掘られたサウスダコタのラシュモア山 Mount Rushmore に次いで、米国で最もポピュラーな撮影スポットのひとつとなっている。


この Paul Bunyan and Babe the Blue Ox の像は、1937年に完成した。 ポール・バニヤンの高さは、18フィート (5.5メートル) 、重さは2トン (メートル法では1.8トン) もある。 台座の1辺は5フィート (1.5メートル) 、ポールの足の大きさは3フィート (0.91メートル) である。
青い牛ベイブの背丈は約10フィート (3メートル) 、前足の蹄と蹄の間は8フィート (2.4メートル) で、鼻先から尻尾までの距離は約23フィート (7メートル) である。

近くにあるインフォメーションセンターには、ポール・バニヤンサイズの歯ブラシやボタンなどが展示されている。

注) ベミジは、1993年1995年2002年"100 Best Small Towns in America" のひとつに選ばれている。


★はじめて物語 ミネソタ編

【医療】

・世界初の開心術(心臓切開手術) Open heart surgery

1952年9月2日
世界で初めて成功した開心術は、ミネソタ大学付属病院において行われた。 F.ジョン・ルイス博士 Dr. Floyd John Lewis が率いる医療チームによるものだった。 患者を華氏82度 (約28℃) の低体温に保つ技術 (全身低体温法) が用いられる。 患者は5歳の女の子で、心房中隔欠損症であった。

・ペースメーカー Pacemaker

1957年
ミネソタ大学での世界初の開心術に参加した医者の1人であるウォルトン・リリハイ博士 Dr. C. Walton Lillehei が、メドトロニック Medtronic の創設者アール・バッケン Earl Bakken に協力を依頼した。
電気回路にトランジスタメトロノームを応用し、水銀電池を用いてポータブルタイプのペースメーカーの開発に成功する。 外部からの電力供給に依存しないため、コードも必要なく、患者の胸部にテープで固定できるものだった。

最初は自宅のガレージで始めた、小さな医療機器修理店にすぎなかったメドトロニックは、電池式体外型心臓ペースメーカーの開発が発端となり、現在では世界第3位の医療機器会社に成長した。

・骨髄移植 Bone marrow transplantation

1968年
それまでは一卵性双生児間でしか成功例のなかった骨髄移植が、患者の兄弟をドナーとする症例において、世界で初めて成功した。 移植は、ロバート・グッド博士 Dr. Robert A. Good を中心としたミネソタ大学の医師たちにより、同大学にて行われた。

患者は生後8か月の男の子で、重症の先天的免疫不全症であった。 親族のうち11人もの男子が、同じ病気で既に亡くなっていたが、この患者の姉である9歳の少女からの骨髄移植が成功し、患者は健康な成人に育った。


【3Mの製品】

・マスキングテープ Masking tape

1925年
3Mの従業員であったリチャード・G・ドルー Richard G Drew によって発明された。 自動車塗装の現場で、元の塗装が剥がれないような粘着力の低い接着テープの必要性を感じて研究を始めたのがきっかけ。 医療用のテープを使うなどの試行錯誤を重ね、薄いクレープ紙にニカワを含浸させたものを使用することで良い結果を得た。

・セロハン粘着テープ Scotch tape

1930年
これも、マスキングテープを発明したリチャード・G・ドルー Richard G Drew による発明。 セロハンに粘着剤を塗り、それをもう一枚のセロハンに貼り付けた後、粘着剤をつけたほうのセロハンを引っぱって剥がしてみることから始めた。 安定性を高めるため下塗りの薬を塗ったり、乾いても透明であるよう天然ゴムと樹脂を混ぜ合わせた粘着剤を作ったりした結果、セロハンテープが誕生する。 大変な売れ行きとなり、 「百万ドルの発明」 と呼ばれる。

注) アメリカでセロハン粘着テープは、セロテープではなく Scotch tape と商標で呼ばれている。

・付箋 (ポストイット) Post-It

1980年
教会の聖歌隊メンバーでもあった3Mの研究員アート・フライ Art Fry は、讃美歌集にはさんでも簡単に落ちない、その場しのぎではないしおりはないものだろうか考えていた。 1974年に 「しおりの端に糊をつける」 というアイディアがひらめく。 しっかりと貼れ、しかも紙を傷めずきれいに剥がれる接着剤が必要だった。

これより5年前の1969年に、同社の研究員スペンサー・シルバー Spencer Silver は、強力な接着剤を開発中、たまたま非常に接着力の弱いものを作り出してしまっていた。 失敗とみなされ、用途がみつからなかったが、ここで 「何を貼り合わせても簡単に剥がせてまた貼れる」 この接着剤の性質とアート・フライの思いつきが結び付く。

こうして生まれた製品がポストイットであった。 1977年に試作品が完成。 1980年に全米発売され、以後世界中に広まる。

注) アート・フライはアーサー・フライ Arthur Fry と表記されることもある。


【スポーツ】

・水上スキー Water ski

1922年
当時18歳であったラルフ・W・サムエルソン Ralph W. Samuelson が、8フィートの長さの2本の松材を蒸気で曲げて、水上スキーを作った。 ミネソタ州レイクシティー Lake City にあるペピン湖 Lake Pepin の上を、ハンドルをつけた洗濯物用のロープでモーターボートに引かれて初滑りした。


・スノーモービル Snowmobile

1956年
アラン&エドガー・ヘッティーン兄弟 Alan and Edgar Hetteen、そしてデイヴィッド・ジョンソン David Johnson の3人が、実用的で近代的な最初の商用スノーモービルを発明した。 彼らはミネソタ州ロゾー Roseauポラリス・インダストリーズ Polaris Industries を創設し、スノーモービルを全米に、そして世界中に出荷するようになる。

スノーモービルは、エンターテイメントとして、移動の手段として、また産業用にも使われている。 長い冬にうんざりしていた北部地域の人々は、冬の新しいアウトドアスポーツとしてスノーモービルを楽しみ、雪を心待ちにするようになった。 またスノーモービルは捜索救助活動用にも使われ、多くの人命を救ってきた。
人口2,600人ほどの小さな町であるロゾーに、このような世界規模の会社が存在するのは、驚くべきことである。

・ローラーブレード Rollerblades 
  (最初に商業的に成功したインラインローラースケート in-line Roller Skates

1980年
ミネソタ州の学生、スコット&ブレナンオルソン兄弟 Scott and Brennan Olson は、オフシーズン中にアイスホッケーを練習するための効果的な方法を探していた。
アイスホッケー靴のブレードの代わりに3個のホイールをつけるというひらめきにより、パテントを取る。


【その他】

・自動ポップアップトースター Automatic Pop-up toaster

1919年 
ミネソタ州スティルウォーター Stillwater の工場で働いていたチャールズ・ストライト Charles Strite が、カフェテリアでトーストを焼きすぎないようにするにはどうしたらよいかと考え、タイマーによって完了時に自動的にパンが飛び出すトースターを発明した。 その後特許申請し、1921年に取得。
同年にウォーターズ・ジェンター社 Waters Genter Company を設立し、レストラン向けに生産販売を開始した。

デザインを改良し、1926年には、トーストマスター Toastmaster (model 1-A-1) という名で、一般家庭向けのトースターを販売し始めた。 これが世界で最初の家庭用の自動ポップアップトースターであった。



注) 1929年にはマグロウエレクトリック社 McGraw Electric Co.Waters Genter Company を買収し、その後も様々なモデルのトースターを作り続ける。 1980年には Toastmaster 社と社名変更した。

・酸素マスク Oxygen mask

1935年 
ノースウェスト航空の社長は、パイロットたちがシアトル付近の山岳地帯の上空を飛ぶ際、眠気と闘わなければならないことをメイヨークリニックの医師に伝え、助言を求めた。 メイヨークリニックは、13,000フィートの高度飛行における酸素不足が原因と推測。

こうして、クリニックの3名の医師 Dr. William LovelaceDr. Walter BoothbyDr. Arthur Bulbulian が高高度用の実用的酸素マスクを開発した。 このマスクは3人の医師の頭文字を取ってBLBマスク BLB (oxygen) mask と呼ばれるようになる。



・スパム SPAM

1937年
ホーメルフーズ Hormel Foods Corporation の製品。 その頃あまり活用されていなかった豚の肩肉を使って、スパイスの効いたランチョンミートの缶詰を作った。 初めはホーメルスパイスハム Hormel Spiced Ham として売り出し、後に "spiced""ham" を組み合わせた造語 SPAM とする。 目新しい味付けと安さ、手軽さで、瞬く間に大ヒット商品となった。


注) CMで 「スパム、スパム、スパム・・・」 と商品名を連呼していたのが由来で、無差別に大量に送りつけられる迷惑メールは、スパムメール email spamspam email と呼ばれるようになった。

・トンカトラック Tonka truck

1947年
ガーデニング用具を製作する会社マウンドメタルクラフト社 Mound Metalcraft Company が、副業として金属製のおもちゃ、トンカトラック Tonca truck を作り始めた。 これはすぐに主事業となり、名前もトンカトイ株式会社 Tonka Toys Inc に変更。 (「トンカ」 はダコタ族の言葉で 「大きい」 を表す)
金属でできた丈夫なおもちゃのトンカトラックは、世界中で大人気となる。 (現在は材料にプラスチックも使われている。)

・バント型 Bundt pan

1950年
ノルディックウェア Nordic Ware の創始者、ヘンリーデイヴィッド・ダルクイスト H. David Dalquist は、ヨーロピアンスタイルの緻密なケーキが焼けるような真ん中が空洞になった型を考案し、自社で売り始めた。
バント型はノルディックウェアを代表するケーキ型となり、現在では世界中の7,000万以上の世帯で愛用されている。 バントケーキは大人気のアメリカンデザートでレシピも多く、11月15日は National Bundt Day と定められているほどである。


Double Chocolate Bundt Cakes

・家庭用の最初のスノーブロワー(除雪機) Snow blower

1951年
ミネソタ州ブルーミントン市 Bloomington の会社トロ Toro によって作られた。 北国の住民にとって、1年の半分近くの雪かきはシャベルだけでは非常に困難であったが、これによって軽減した。

・自動車用のリトラクタブル (格納式) シートベルト
   Automatic Retractable Seat Belt for automobiles

1963年
ミネソタ大学の機械工学部の教授であったジェームズ・J・ライアン James J. Ryan が特許を取得。 安全性を確認するための衝突実験には自らが参加したため、彼のニックネームは 「クラッシュ Crash (衝突)」 であった。

国家道路交通安全局の統計では、1975年から2004年までの期間に、シートベルトは195,000人以上の命を救ったと推定されている。


注) 彼は1959年に、ブラックボックス Black box とも呼ばれる飛行機のフライトデータレコーダー Flight Data Recorder も発明し、特許を取得している。

★ミネソタの卵売り

年配の方にとっては、 「ミネソタ」 と聞いて真っ先に頭に浮かぶのは 「ミネソタの卵売り」 という歌のようだ。
1951年 (昭和26年) のヒット曲で、歌っていたのは1921年 (大正10年) 生まれの暁 (あかつき) テル子さん。 エキゾチックな顔立ちで、明るく華やかな雰囲気を持った歌手だった。

世界各地の売り子をテーマにした歌はこれが初めてではなく、前年の1950年5月には 「リオのポポ売り」8月「チロルのミルク売り」 という歌も発表されていた。

注) ポポはポポー、ポーポー、アケビガキとも呼ばれる果実。 ねっとりとした果肉で、トロピカルフルーツのような甘い香りの果実。

1951年には記念すべき第1回NHK紅白歌合戦が行われた。 暁テル子さんも紅組出場者7名の1人に選ばれ 「リオのポポ売り」 を歌唱。 紅組のトリは、キャプテンも務めた渡辺はま子さんの 「桑港のチャイナ街 (サンフランシスコのチャイナタウン) だった

また 「ミネソタの卵売り」 が大ヒットした1951年、その1ヶ月前には 「ミシシッピーの恋の唄」「ラプラタの夜話」 、 同年9月には 「ホノルルボンガ」 、そして1956年には 「港キューバのタバコ売り」  が発売されている。 世界各国のご当地ソングを、シリーズ化していたようだ。

終戦直後の混乱も一段落し、人々の暮らしにも活気が戻ってきた頃、笠置シヅ子さんの 「東京ブギウギ」1947年) 、高峰秀子さんの 「銀座のカンカン娘」1949年) に代表される明るくリズミカルなご当地ソングは次々と大ヒットした。
「ミネソタの卵売り」 も、モダンなリズムと人々を元気づけるような歌詞・振付で、当時の世相にぴったりの曲であった。

暁テル子さんは1962年、心臓マヒにより残念ながら41歳の若さで亡くなっている。


「ミネソタの卵売り」  歌: 暁テル子、 作詞: 佐伯隆雄、 作曲: 利根一郎

コッコッコッコッコケッコー コッコッコッコッコケッコー
私はミネソタの卵売り
町中で一番の人気者 つやつや生み立て買わないか
卵に黄身と白身がなけりゃ
お代は要らない コッコッコッコッコケッコー

コッコッコッコッコケッコー コッコッコッコッコケッコー
私はミネソタの卵売り
町中で一番ののど自慢 私のにわとり素敵です
卵を生んだりお歌の稽古
ドレミファソラシド コッコッコッコッコケッコー

コッコッコッコッコケッコー コッコッコッコッコケッコー
私はミネソタの卵売り
町中で一番の美人です 皆さん卵を喰べなさい
美人になるよいい声出るよ
朝から晩まで コッコッコッコッコケッコー


その後、1973年にはハウスの即席ラーメン「ハウスシャンメンたまごめん」80年代には石井食品 「イシイのタマゴにべんり」 のCMで、それぞれ 「ミネソタの卵売り」 の替え歌が使われて話題になった。
軽快でノリがいいので覚えやすく、CMにはぴったりであった。

「ハウスシャンメンたまごめん」 歌: 前川陽子 ( 「ひょっこりひょうたん島」 のテーマを歌った歌手)

コッコッコッコッコケッコー
わたしはハウスのたまごめん
麺にたまごを練り込んだ
ツルツルシコ シコ  ツルツルシコシコうまい味
わたしはハウスのたまごめん
お味はけっこう 37円なおけっこう

「イシイのタマゴにべんり」 歌: 藤本房子

コッコッコッコッコケッコー
わたしはイシイのタマゴにべんり
産み立て卵にタマゴにべんり 混ぜて炒めておいしく出来上がり
2種類そろってお好み次第
わたしはイシイのタマゴにべんり


「ミネソタの卵売り」  の替え歌、ハウスシャンメンバージョンは、アニメ 「ちびまる子ちゃん」 にも登場。 昭和49年前後、子供たちから絶大な人気を博していたラーメンとして紹介されている。
まる子も、チュルチュルシコシコに感激。 一番お腹の減る土曜日の昼はたまごめんと決めて、毎週食べていた。

たまごめんに感動する まる子
景品のたまごツイスト

注) 「ちびまる子ちゃん」 の話の中では 「ハウス」 は 「ナイス」 に、 「たまごツイスト」 は 「たまごボール」 に変更されていた。


テレビ番組 「笑点」 では、落語家の林家木久扇 (はやしやきくおう) 師匠「ミネソタの卵売り」 を持ち歌としている。 よく卵がらみの回答をするため、 これを歌うことが多い。

YouTube 「卵売り 笑点」 より 
林家木久扇師匠は2014年7月、初期の喉頭がんと診断されたが、療養後に復帰。 がんの原因は 「ミネソタの卵売り」 だったので、これからは番組の中で歌は禁止・・・と桂歌丸師匠にお灸をすえられた。


アメリカ中西部ではトウモロコシの生産量が多いため、それを餌とした養鶏も盛んである。
ミネソタ州での卵の生産量は年間約29億個で、全米でもトップ10に入る。

ただし、卵がミネソタ州の特産物とされているわけではなく、この歌のように女性が町を歩き回って卵を売る習慣も全くない。


★まことしやかに伝わる、ミネソタの変な法律

・ 12歳未満の子供が親の監視なしに電話で話すことを禁ずる。
・ 夫の許可なしに、妻が髪を切ることは許されない。
・ 全てのバスタブは、脚付きでなければならない。
・ ブレイナードの男はみな、あごひげを伸ばさなければならない。
・ 日曜日には、ハンバーガーを食してはならない。
・ 全裸で寝るのは違法である。
・ カモを頭に乗せて州境を横断してはならない。
  (カモは原文では duck。 ミネソタでは普通、アヒルではなくカモを指すので、このように訳した。)
・ 市民がウィスコン州に入る時には、鶏を頭に乗せたままではいけない。
・ スカンクをいじめてはならない。
・ ネズミの頭を町役場に持って来た者には、1匹につき10ドルの報奨金が与えられる。
・ メインストリートに象を置きっぱなしにしてはならない。
・ ダウンタウンのメインストリートには、誰でも1日3セントで牛を置いておくことができる。
・ インコの絵として売るつもりで、スズメの絵を描いてはならない。

注) これらは全てがでたらめで、なぜ広まったかは不明・・・ 


★日本の姉妹都市

長崎県長崎市 セントポール St.Paul (Ramsey County) 1955年
大阪府茨木市 ミネアポリス Minneapolis (Hennepin County) 1980年
和歌山県湯浅町 ケンブリッジ Cambridge (Isanti County) 1986年
和歌山県湯浅町 ブラハム Braham (Isanti County) 1986年
千葉県いすみ市 (旧 大原町) ダルース Duluth (Saint Louis County) 1990年
秋田県秋田市 (旧 雄和町) セントクラウド St. Cloud (Benton, Stearns, Sherburne County) 1993年
大阪府和泉市 ブルーミントン Bloomington (Hennepin County) 1993年
愛媛県伊方町 レッドウィング Red Wing (Goodhue County) 1995年
宮城県美里町 (旧 小牛田町) ウィノナ Winona (Winona County) 2001年
福島県白河市 (旧 大信村) アノーカ Anoka (Anoka County) 2002年
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